夜中に帰ることが多い最近。

疲れた身体で自転車に乗っていると、街の真ん中に位置する森 Tiergartenでは Nachtigall ナイチンゲール の歌があちこちで聴こえる。

こういうちょっとしたことでも、
なんだか癒されるな〜。





さてさて。
素晴らしかった舞台の感想を!


毎年といってもいい、TT 常連さんのMuenchener Kammerspiele(以降MK)。

今年は
Luk Perceval
演出「 Kleiner Mann - was nun?
(同タイトルの音楽もあり)という Hans Fallada著の作品。

Luk Perceval はベルギー出身の演出家だが、ここドイツで多くの作品を発表している。
以前、Schaubuehneで彼の作品を見たが、今回のものはそのときとは全く違う演出で、いい意味warabiの期待を大きく裏切ってくれた。

作品は1930年代に起きた世界恐慌の中、若いカップルがなんとか仕事を見つけ、家族を養おうと四苦八苦するという内容。


舞台は、非常にシンプル


MKの舞台の形に沿って、黒い壁で覆ったものと、
中央にOrchestrionと呼ばれる、古い大型自動演奏楽器が置かれているのみ。

Orchestrionとは、オルゴール館などでよく見かける、弦楽器や鍵盤楽器、アコーディオンなどが一つの箱に入っているオルゴールの大型版で、パンチコードを読み込んで演奏するもの。

舞台用に組み立てられているから、照明やスピーカーなども仕込まれ、裏から見るとコードだらけで、なにやら楽しげな姿に(笑)。

ちゃんと調律師が来て調律していたところが、おもちゃでない証拠!


音楽は20年代、30年代のものが使われ、観客たちも一緒にハミングする姿が印象的であった。

特に!
「Irgendwo auf der Welt」が流れたときには会場全体がメロディーにつつかれ、なんとも不思議な空間に。

その曲を知らない人がいない
その時代の情景が見えるという曲があるとすれば、まさにこれ!
(warabiも個人的にすごく好きな詩なので、始まりだけご紹介)

Irgendwo auf der Welt
Gibt's ein kleines bißchen Glück,
Und ich träum' davon in jedem Augenblick.....

世界のどこかに
ほんのわずかな幸せがある
そして私は
あらゆる瞬間にそれを夢見ている.....


時代を象徴したいい詩である。


また、音響的にはSE(音響効果)を多用していなかったのがよかったー。
「SEのないラジオドラマ」と表現すればわかってもらえるかしら?

例えば
波の音がないけれど、
「波の音が聴こえるはずだと思うと聴こえてくるような気がする」
という効果。
わかりづらいかもしれないけれど、
多用するより、観客の想像を利用する方が時には効果的だということ。


そして。

Max Kellerとは思えないほど(?)、シンプルな照明。
正面からうたれたビーマーからは、黒い舞台全体に、超スローモーションの白黒動画や静止画動 画の超スローモーションというのがポイント!)が絶え間なく投光され、それを壊さないように補足で照明が足されているという具合。


ビーマーから映し出される絵の黒の部分は、当然舞台上で陰になるのだが、その効果がW.Kentridgeの影絵をふと感じさせるような、非常に興味深い効果を出していた。

近頃照明が主張している作品が多いなか、この方法は非常に新鮮な印象を与えた。


作品自体は4時間15分(休憩あり)という大作だったのだが、休憩で仕切られた2時間を苦とも思わないほど、魅せられてしまったのであった。

特に期さなくても周知のことだが、役者の技量が群を抜いてすごい!!
役者がぐんぐんと引っ張っているのが目に見えるのだ。


演出がまた抽象的で素晴らしかった。

元々は戯曲ではなく小説ということもあるのだろう。
小説の会話ではない、いわゆる情景や考察を語る部分も役者が語らせ、続いてちょっとした顔の角度を変え「会話」に加わわらせる。

舞台は巨大な黒の空間とOrchestrionがあるまま。
役者には、人間関係やそのときの心情を表す立ち位置で語らせる。

百聞は一見にしかず→ ここ
サイトから少しだけ動画が見られます


演出家、役者、そして舞台技術のハーモニー




こういうものを観られると、
観客であるwarabiは
「つくづく幸せだなー」と思えるのであった。。。