旧DDR時代の車、Trabi トラビ
トラバント (Trabant)というのが正式名称である。

繊維強化プラスチック(FRP)製。現在は排ガス規制などからエンジンはVW製となり、歴史文化財として特別に許可を得た車両以外は走行できなくなっているという。

ノスタルジックでかわいい外装や修理のしやすさなどの理由から現在でも愛好者が多く、なんでわざわざとは思うが、レースカー仕様に改造されたりもしているようだ。



さて、このトラビ。

街を歩いていると、このトラビに乗ってベルリンの街を観光するツアー "Trabi-Safari" に出くわすことがある。




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"safari"というツアー名からか Trabiのキリン&シマウマ使用



ベルリンの壁崩壊20周年を機に始まったというのだが、乗っている側よりも連なったトラビを外から見る方が、かなりアドレナリンを上げる効果があると思うのはwarabiだけだろうか。


この車がほしいとは思わないけれど、まだまだ現役で活躍しているのを見るのは嬉しいな。


そして、
ホロコーストを知るなら リーベスキント建築の "ユダヤ博物館”がお勧め。


リーベスキントの両親はホロコーストの生き残りだという。
両親が生き延びなければ彼は誕生していなかった訳なのだから、彼にとってこの仕事は文字通りとても意味の深いものであったに違いない。

ドイツ人であり同時にユダヤ人であった被害者たちを表現するために、近代的なユダヤ人を象徴した建物と、バロック様式のプロイセン時代の法廷(先日書いた通りプロイセン王国は初ドイツ統一)を、簡単に橋を架けてつなげることなく、地下でつないだこと。

彼には全く別の歴史をもった二つの建物を繋ぐために、簡単に橋を架けることはできなかったという。


その深い深い溝は、博物館の展示品からもひしひしと伝わってくる。



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"ユダヤ人にはサービスは行わない"

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"16時から17時までユダヤ人からそしてユダヤ人のために買い物を許す"

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"誰がユダヤ人か?"


warabiは多くの映画などで

「ユダヤ人からモノを買うな!」というシーンを見たことがある。

1番目の写真はまさにそれ。


2番目の写真では、ユダヤ人が日用品を購入するのにどれだけ苦労をしていたかがよくわかる。ユダヤ人の商店も同様であった。



3枚目の"誰がユダヤ人か?”では、
まるで血液型の家系図のように、ドイツ人(白)ユダヤ人(黒)から子供が生まれた場合を、それぞれの例にして表示している。

このほかに、"誰と誰が結婚してはいけないか"バージョンもあり。

こんなものが配布され、市民はこれを真剣に頭に叩き込んでいたと想像するだけでも恐ろしい。




最後にホッとする話題。

freievolksbuehne
歴史的に重要なポスター



展示も終盤のころ。

Freie Volksbuehne 劇場
のポスターを発見。

これは、warabiの働く Berliner Festspiele 劇場の昔の名前なのである。

Freie Volksbuehne劇場は、東ベルリンにある 有名な Volksbuehne am Rosa-Luxenburgplatzとは別の、西のVolksbuehneと呼ばれたところ。



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左:Erwin Piscator 右:Peter Weiss




当時インテンダントであった Erwin Piskator エーヴィン ピスカートァは、Peter Weiss ペーター ヴァイスの" Die Ermittlung" 「追究」(アウシュビッツの裁判の過程を書いた)を上演。

1965年 10月19日。
それは、東西ドイツ全15劇場同時初演という前代未聞のムーヴメントを起こしたのだった (MecklenburgのRostock ロストックでも!)


vermittlung




当時のBFSの写真→ こちら



そういえば、BFS劇場に内に Pistcator-Logeと名のついた部屋があることに、気がついた。

そこは上手フロントの奥にある部屋で(客席から2階右手にある開閉式木製壁の向こう)、Piskatorがインテンダントだったころ、好んでそこから芝居を見ていたという話を聞いたことがあった。

今でもそこにテーブルとソファが置かれていて、壁には当時の彼にまつわる写真がずらっと飾られている。


日常的に、その部屋を横切りながら仕事をしているのだが、
ひょんなことからベルリンの歴史warabiの現実が繋がった瞬間なのであった。