Ruhrtriennale 2011が、

我らの(!)"Tristan und Isolde"  - Regie:Willy Decker の初演とともに開幕した。



長ーい3ヶ月の仕込み&稽古が実を結んだといっていいだろう。

何度も仕込んでは撤去して、また別のアイディアを試す繰り返しを乗り越えた末、
初日の日、みんなで「やっと、やっと、ここまで来たね」と喜びを分かち合う。

3度目の正直という言葉があるけれど、演出のDeckerにとってはよい批評が出るかどうか、任期最後のチャンス。
我々 "技術"チームにとっても、自分たちの努力をして築きあげた作品がどうでるのか?、気になるところであった。



批評は下記の通り -ドイツ語だけど、写真付き -

Osnerbruecker Zeitung

Der neue Merker

Deutschlandfunk



結果は大勝利
(ここまでいろいろあったので ちょっとうれし涙のwarabi)



R. Wagnerのドラマチックな音楽に合わせて、Wolfgang Gussmannの自由自在に漂流する氷河のような白い舞台が、廃墟のようなホールの中を彷徨う。

その空間は、25m×15mという舞台が35m幅、深さ50m、高さ9m〜20mというもの。
そこを舞台が滑らかに行き来、そして前につんのめるし(舞台前が低くなって、奥が高くなるという意)、さらに左側にもひっくり返るという、聞いただけでは理解の範囲を超えてしまうくらい大仕掛け。
そして、天反の可動範囲も、上下するだけでなく舞台にあわせて回ってしまうからすごいのだ。
(きっと また図説をしないと理解されないだろうね)


舞台は夢のようでなきゃ、と思う方には、

耳だけでなく目でも、どっぷりとその世界にハマれる約5時間。


音楽性ついては、将来を約束されている天才指揮者Kirill Petrenko が、この名作を大胆な解釈でオーケストラをまとめている。例えば彼は、どの楽器も、どの歌声もバランスよく聴かせるように演出しているのだという。

そして、、、

彼は5時間という長丁場を、どの瞬間を見ても、まるで踊っているように指揮をする。
「そんじょそこら(!)のダンサーは彼を見習わなければいけない!」とwarabiは断言できるほど、彼の指揮姿は見ているものを引き込む力を持っている。

丁寧で、滑らかで、大胆で、繊細で、時には息が上がったような声を出しながら、またモニターからはみ出しながら、体全身で彼の世界を表現しようと必死なのが伝わってくる。


演出のWilly Deckerは改宗仏教徒であり、RTのインテンダントとして就任したこの3年は、世界は3大宗教に関わる作品を演出。

1年目 Moses und Aron (ユダヤ教 キリスト教)
2年目 Leila uund Madschnun(イスラム教)
3年目 Tristan und Isolde(仏教?)


えっ、
あの "トリスタンとイゾルデ" が 仏教?

もちろん、題名を見ても分かるように話自体は全く仏教とは関係のない次元(というか、ばりばりヨーロッパのお話)
しかし、この作品はワーグナーの全作品中で唯一「神」の名(あのキリスト教の!)が出てこない作品。

Schopenhauer ショーペンハウアーによって、仏教精神とインド哲学は、ドイツ哲学界に多大な影響を与えたとされるが、Wagnerも影響された一人であり、仏教に関心を持っていたといわれているのだ。


世界=本来 個人である

仏教=中心は神ではなく人間
   個人の精神を研ぎすまして悟りを開く



この背景は調べて行くとなかなか興味深く、話が随分と脱線してしまったので、ここではこのくらいに。


"Tristan..." には機能的和音の崩壊、いわゆる「トリスタン和音」といわれるものが多く使われていて、楽中に不協和な響きそのものをとくに強調しようと意図されているという。

これをみても、Petrenkoが試みた大胆であるという挑み(全ての音を強調する)は、大変に意味のあることだったと改めて思う。

ともかく、Deckerはこの3作でWagnerのように”世界”を表現したかったに違いない。



またしても、
とりとめのない日記になってしまった。
ご覧になれるかたは是非!チャンスは5回!!