warabi's tagebuch

カテゴリ:アート Kunst > 演劇 Schauspiel

2008年に演劇作品として作った、東京国際芸術祭参加作品アトミックサバイバー 〜ワーニャの子どもたち〜』(演出:阿部初美)から、


放射能事故対処マニュアル「トロロソング」全編をお届け。









このときは、賛成派、反対派、またはその他の圧力を感じながら この作品を必死に作ったのだが、この演劇の世界が今日本で現実となっている

劇中音楽のこの歌は、皮肉なことにタイムリーな内容。


warabiは、こうなってしまったことに、そして、あのときの大変だった苦しみも思い出して、非常に複雑な気持ちである。



この経験は日本を変えるだろうし、warabiたちは変わらなくてはならない。
それは将来ではなくて、"時期は今"なのだ。


Christoph Schlingensief hat naechstes Projekt fuer Ruhrtriennnale in Koproduktion mit dem Deutschen Theater Berlin abgesagt.
ルールトリエンナーレで行われる予定であった、C.シュリンゲンジーフのS.M.A.S.H. - In Hilfe ersticken は演出家の病状悪化のために中止となりました。

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とても辛いお知らせ。

数日前にすでにその知らせは受けていたものの、公式な発表まではと思いこちらには書くことが出来なかった。

彼の病気(数年前から肺がんを患っている)のことは周知のこととはいえ、この知らせは驚きとともに、非常にショックであり、残念である。
闘病しながら精力的に活動を続ける彼の新作を、誰もが楽しみにしていたはずだが、こればかりはどうしようもないことなのだ。

これにより、数日後に迫っていたwarabiたちの仕込みは宙に浮き、夏の仕事はどうなるのか、今返答待ちとなっている。
すでにコンテナ5つは知らせの後搬入され、もちろんプランもあがっているし、劇場も借り切っているこの状況。事務所側も、この処理に追われている。

チケットだって売り切れているはずだ。
中止にまつわる経済面でのマイナスは、計り知れない。


いや、それよりも。

1人のファンとして、彼の回復を心から願いたい。




今年の Theatertreffenは Koeln ケルンの年 といえるほど、Schauspiel Koelnの作品が多かった。

先に書いた、Johan SimonsKasimir und Karolin

2つ目の Die Schmutzigen, die Hässlichen und die Gemeinen /Karin Beier

そして Die Kontrakte des Kaufmanns /Nicolas Stemann
(Thalia Theater, Hamburgと共同制作)


と今年選ばれた10作品のうち、3作はKoelnからということになる。


*


2つめの演出家 Karin Beier は、warabiとしては初耳だったのだが、なんでもSchauspiel Koelnのインテンダントとなっている優秀な方だそう。

彼女の作品は、なかなかよく出来ていたと思う。

まずそれは、Thomas Dreissigacker の舞台美術によって成り立っていた。

それは・・・


die_schumutzigen
とっても重い、頑丈な防音コンテナは 本物ではなく舞台用



普通だったら耳に入れたくもない日常会話を、コンテナという箱に押し込めて防音し、窓を通して彼らが過ごしている様子を見るというアイデア。

コンテナは横に細長く Haus der Berliner Festspieleの舞台よりも若干長かったので、下手にあるSeitenbuehneという小舞台まで張り出し、客席を奥舞台に仮設して上演。

舞台と客席を仕切る鉄扉の内側は黒に塗られていず、銀色なので新鮮。これが背景となる。


あまり日常を知られることのないある下層の人々(直訳的な表現ですみません)
10人以上でこのコンテナで共同生活をしているようだ。

ドアや窓はきっちりと閉まっていて、なにか会話しているようだけれど、全く観客のwarabiたちには聞こえてこない。
しかし、いくつもある大きな窓ガラスを通して、中で生活している人々の様子はよく見える。

車イスに座って、ガラスクリーナーを飲もうとする人
ずっと電話ばかりしている人
起きたばかりなのか、パンツ姿で歩き回る人
下着姿のまま座っている人
暴力が得意な大男
トイレから出てきておしりが半分見えている人

などなど・・・

観察している(覗いている)と、力関係や執着しているものも見えてくる。
共通点はどの人もお金に強い執着を持っているということ。

この単純な仕掛けが、ドラマを生む。

あまりに見ていられないほど赤裸裸だったり、聞こえないけれどわかってしまうだけに「聞こえなくてよかった!」と思うwarabi。

この演出でなかったら、どうやってこのような作品を2時間見ていられるのだろうか、と思えるほどよく出来ていたと思う。

彼女の他の作品も是非、見てみたい。


*


そして、TT最後の作品。

Die Kontrakte des Kaufmanns von Nicolas Stemann。
これはSchauspiel KoelnとのCo-produktionにより、Koelnで初演が行われ、Thaliaのクルーにより再演されている、4時間もの超大作作品。

2008年のリーマン・ショックによる経済が話題。いかにEuroの強さを示せるか、ドイツがリーダーシップを保てるか、など様々な方向からテキストを書いたElfriede Jelinek イェリネック。何度もテキストを追加したりして、あまりの適す炉の多さに、毎回上演時間も3時間半程度から4時間くらいと大幅に変わるらしい。

下手前には「99」と表示された電光掲示板。
役者が読み上げてページをめくる度(実際はテキスト紙をめくって投げ捨てる)、数字が減っていき、全て読み終えると「0」になるという仕組み。

Regieanweisung(演出の指示)を読む担当もいて、観客へ注意点や指示をおもしろおかしく伝える。

例えば、

「この芝居は4時間と長くて・・・・、でも舞台上では休憩を取らないで通して行うので、その代わりに観客の方達は自由に出入りしてもらい、いつでも休憩を取ってください。ドアは上演中も解放してあります。飲み物や食べ物は普通劇場内では禁止ですが、本日は許可されています(大拍手!)・・・」

という具合。

やはりStemannはすごいのか。

やはり、、、4時間は長い。
Muenchenの "kleiner mann”芝居と違って、見せる(見入る)芝居ではないから、なおさら長く感じる。
テキストのよさを解れば、また違うのだろうけど。

ということで、warabiは途中でご飯休憩♡
この後、夜中過ぎまで撤去だったので、夕飯は大事!

でも、もちろん最後の大展開はちゃんと見ましたよ。
「Hamburgの観客はコンサバなので、Berlinは食いつきがすごかった」と、スタッフが後に語っていたように、ゼクトを買いに (!) 出入りしていても、最後満員だったので誰も帰ってはいなかった様子。

いや、カーテンコールもすごかった!!





あっという間にTT終了。

この後 撤去、引っ越し、劇場改修第2弾となります。。。














Riesenbutzbach. Eine Dauerkolonie
von Christoph Marthaler



今秋Marthalerが F/T で初来日予定。
日本公演の鑑賞を楽しみにしている人は ネタバレになるのでご注意を!




舞台は、"Instituet fuer Gaerungsgewerbe"(舞台装置上部に記されている)。

意味は言葉遊び的でよくはわからないが、直訳だと「発酵製造工場」。小さな Brauerei ビール醸造所などのイメージか。

Krise
経済恐慌・金融危機がテーマ



riesenbutzbach
今は閉鎖になった Tempelhof空港で開催
ホールは巨大なので、巨大な美術が普通に見える



いつものAnna Viebrock的美術には、ガレージが3つも組み込まれているが、どれも車が終われている様子はない。

ガーデン用のイステーブルが入っていたり、バンドの練習所になっていたり、また閉め切ったままになっているようだ。

演出的にいえば、出入り口が10以上も用意されていて、役者の出入りまた小さな空間の使い方が、細々していて楽しい。

シーンはお決まりのように、またタイトルにあるように、いつまでも継続するようなテンポで ゆ〜っくりと進行する。


*

Der Staat hat das Geld, was uns gehoert, ausgegeben. Deshalb muessen wir Verstaendniss haben, und ihm den Rest geben. Und mit dem was uebrig bleibt, muessen wir ordentlich konsumieren.


国家は我々の所有している金銭を全て使ってしまった。
だから、我々は残りを国に渡すことを理解しなければならない。
そして、まだ余りがある場合、我々はしっかりとそれを消費しなければならない・・・


*


Marthalerワールドは健在で、あの 恥ずかしい笑い はそこここで起こっていたのだが、なにかもの足りず。

楽しみにしている人には申し訳ないが、このテーマも表面的に触っただけで終わっていたことは、非常に残念。

次回に期待したい。

夜中に帰ることが多い最近。

疲れた身体で自転車に乗っていると、街の真ん中に位置する森 Tiergartenでは Nachtigall ナイチンゲール の歌があちこちで聴こえる。

こういうちょっとしたことでも、
なんだか癒されるな〜。





さてさて。
素晴らしかった舞台の感想を!


毎年といってもいい、TT 常連さんのMuenchener Kammerspiele(以降MK)。

今年は
Luk Perceval
演出「 Kleiner Mann - was nun?
(同タイトルの音楽もあり)という Hans Fallada著の作品。

Luk Perceval はベルギー出身の演出家だが、ここドイツで多くの作品を発表している。
以前、Schaubuehneで彼の作品を見たが、今回のものはそのときとは全く違う演出で、いい意味warabiの期待を大きく裏切ってくれた。

作品は1930年代に起きた世界恐慌の中、若いカップルがなんとか仕事を見つけ、家族を養おうと四苦八苦するという内容。


舞台は、非常にシンプル


MKの舞台の形に沿って、黒い壁で覆ったものと、
中央にOrchestrionと呼ばれる、古い大型自動演奏楽器が置かれているのみ。

Orchestrionとは、オルゴール館などでよく見かける、弦楽器や鍵盤楽器、アコーディオンなどが一つの箱に入っているオルゴールの大型版で、パンチコードを読み込んで演奏するもの。

舞台用に組み立てられているから、照明やスピーカーなども仕込まれ、裏から見るとコードだらけで、なにやら楽しげな姿に(笑)。

ちゃんと調律師が来て調律していたところが、おもちゃでない証拠!


音楽は20年代、30年代のものが使われ、観客たちも一緒にハミングする姿が印象的であった。

特に!
「Irgendwo auf der Welt」が流れたときには会場全体がメロディーにつつかれ、なんとも不思議な空間に。

その曲を知らない人がいない
その時代の情景が見えるという曲があるとすれば、まさにこれ!
(warabiも個人的にすごく好きな詩なので、始まりだけご紹介)

Irgendwo auf der Welt
Gibt's ein kleines bißchen Glück,
Und ich träum' davon in jedem Augenblick.....

世界のどこかに
ほんのわずかな幸せがある
そして私は
あらゆる瞬間にそれを夢見ている.....


時代を象徴したいい詩である。


また、音響的にはSE(音響効果)を多用していなかったのがよかったー。
「SEのないラジオドラマ」と表現すればわかってもらえるかしら?

例えば
波の音がないけれど、
「波の音が聴こえるはずだと思うと聴こえてくるような気がする」
という効果。
わかりづらいかもしれないけれど、
多用するより、観客の想像を利用する方が時には効果的だということ。


そして。

Max Kellerとは思えないほど(?)、シンプルな照明。
正面からうたれたビーマーからは、黒い舞台全体に、超スローモーションの白黒動画や静止画動 画の超スローモーションというのがポイント!)が絶え間なく投光され、それを壊さないように補足で照明が足されているという具合。


ビーマーから映し出される絵の黒の部分は、当然舞台上で陰になるのだが、その効果がW.Kentridgeの影絵をふと感じさせるような、非常に興味深い効果を出していた。

近頃照明が主張している作品が多いなか、この方法は非常に新鮮な印象を与えた。


作品自体は4時間15分(休憩あり)という大作だったのだが、休憩で仕切られた2時間を苦とも思わないほど、魅せられてしまったのであった。

特に期さなくても周知のことだが、役者の技量が群を抜いてすごい!!
役者がぐんぐんと引っ張っているのが目に見えるのだ。


演出がまた抽象的で素晴らしかった。

元々は戯曲ではなく小説ということもあるのだろう。
小説の会話ではない、いわゆる情景や考察を語る部分も役者が語らせ、続いてちょっとした顔の角度を変え「会話」に加わわらせる。

舞台は巨大な黒の空間とOrchestrionがあるまま。
役者には、人間関係やそのときの心情を表す立ち位置で語らせる。

百聞は一見にしかず→ ここ
サイトから少しだけ動画が見られます


演出家、役者、そして舞台技術のハーモニー




こういうものを観られると、
観客であるwarabiは
「つくづく幸せだなー」と思えるのであった。。。

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