カテゴリ:アート Kunst > パフォーマンス Performance


Dock 11で行われていた、A+B TANZBAU(Mercedes del Rosario Appugliese + Florian Bilbao) „Die Ausnahme, Episode II“ 観に行った。

予想を覆すような構成がそこここに使われていて、脳みそ活性状態が一夜明けた今も続く。この作品には、warabiを久しぶりに満足させてもらったので、是非一言書いておきたい。



A+B TANZBAUは、Mercedes AとFlorian Bの二人が軸となって2012年創立したばかり。Florianは、去年のRuhrTriennnaleにて、H. Gobbels が演出した "Europaras 1&2" にて、コレオグラフを担当していたのだが、彼が踊る作品を今まで見たことはなかった。


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会場のある中庭へ向かう
中央にDOCK11の看板


会場はDock 11、90年代初めにできたダンスを中心にプログラムがされている倉庫風の会場。持ち主が変わっても、Mくんたちが当時取り付けたという看板は、今も引き続き使われている。


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会場の入り口/左 と東ドイツ時代の蛍光灯/右


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会場に入ると、舞台上手に山ほど積み上げられたクッションの上に、ミラーボール顔負けの衣装を身に着けた日本人女性(音楽担当: Yoko Matsuyama) が座っている。

客電が落ちると、その彼女がクッションの上で寝返りを打つように体位を変えていくたびに、クッションはずれ落ちそれに埋もれていく。

次第にクッションをばらまいていく彼女。それに目を奪われていると、一番下にあったマットの下から手足がにょきっと出てきて、「えっ、一人じゃないよね、その幅は?」と思った瞬間に、マットがクルッと、本当に機械仕掛けのようにクルッと回って瞬きする暇もなく、その瞬間にマットに寝そべっている二人のシーンとなっていた。

こんな転換の仕方、初めて見た。すごい。
しかもどうやったら、体の筋肉だけでくるっとマットと二人の人間がひっくり返れる訳???

その後も、マットの上では "寝返りを打ってエリアを確保”したり、 “眠いのにベットからずらされていく流れに抵抗し身を翻し”たり、”真ん中に陣取る相方の上に乗っていい位置を得る” など、狭いベットの中でクルクル自在に、そして思いもよらない方向に体を引き延ばしたりとあまりの展開の早さと予測のつかない動きで、観客は彼らを見ているのにどこか見逃している気分さえしてくる始末。


なんで、横たわったままの姿勢で、隣に寝ている人を飛び超えて、反対側に移れるんだろう???
Mercedes メルセデスさんの肉体は、きっと筋肉質だけで出来ていて、しかも骨も筋肉質なんじゃないだろうか???



・・・なんて、考えている暇は一切ない。思考可能範囲を超えている振り付け。


背中同士をくっつけてエプロンでぐるぐる巻きにした状態で、Apfelkuchen アップルクーヘンをつくる振り付けは、喝采もの!
「よくもまぁ、こんなふうに踊りながらクーヘンが作れるものだねぇ」と思っていると、次の瞬間は笑わされてしまう。
クーヘンをオーブンにいれて、次のシーンへ移行。

どのシーンも日常生活をしている二人の関係を描いたものだけれど、愛があって一緒にいながら、小さな積み重ねでどこかがぎくしゃくしてしまう、という展開を幾度も設定を変えて踊ってみせるという試行。
最後のシーンは3回もやり直すのだか、アップルクーヘンの焼けたいい匂いが会場を埋め尽くした頃、タンゴ音楽がかかり、二人はタンゴを踊ってめでたしめでたし。

音楽担当のYukoさんが、舞台を横切りオーブンのスイッチを0に回し、

「チ~ンッ 」と鳴ったところで、暗転。


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youtubeにて、A+B TANZBAU 別作品のトレーラーを見つけたので、こちらに紹介しよう。















Berliner Festspiele にて現在行われているフェスティバル、 Foreign Affairs


2日間の仕込み終了、本日プレミエの Romeo Castellucci (←映像有り)ロメオ・カステルッチ "The Four Seasons Restaurant " は、今年のアビニョン演劇祭でも上演された作品。


次々に登場する女性たちは、自ら舌をハサミでちょん切っていくという衝撃な幕開け。
・・・そして犬が登場し、女性たちが切り取った舌を食べてしまう・・・

戦後のクラシカルなモードに身を包んだ女性たちの様式のある動きは、大きく好みが分かれるところだが、恐怖・暴力・死を表現した不思議な彼の世界は健在。

イタリア人との仕事は、仕込み図が無いので担当者が話すことを淡々とこなしていくしか無いとか、待ち時間が多いとか、リズムが違うということが沢山あるけれど、彼らならではの舞台づくりは目を見張るものがある。

元々イタリアの劇場は機構としてちゃんとある訳ではないので、舞台機構ごと作品にあわせて作ってしまうことはごく普通なことらしい。仕掛けものの様に、糸やらワイヤーが張り巡らされている状態は、なかなか面白いものだ。

この作品中には、目の錯覚か?と感じられるシーンが多々ある。
例えば、白舞台が黒舞台にゆっくりと変化していくとか、開閉していたプロセニアムカーテンがあるとき前後に移動していくとか。
そんなまさか、と思うような舞台展開ができる機構を、彼らは手作りで仕込んでいく訳なのである。

公演中、照明を操作するのはカステルッチ本人。←もちろん、仕込みはしないけれど、ね。


そして、最後の10分。

前半とは異なり、カステルッチの世界をビジュアル化した、舞台技術のコラージュ。
轟音、閃光、映像、そして”秘密の箱”の織りなす、摩訶不思議なシュールレアリズム。
そのとき、トリックを探そうとする自分と、トリックに魅了され騙されていたいと思う自分が交差する。
ドラマチックなトリスタンとイゾルデ3幕最後の音楽(!)が終了した後、胸が高鳴りお腹いっぱいになっている自分がいた。


追記:アビニョン演劇祭パラストで上演された Inferno の映画上映有り。
10匹もの警察犬が登場し、彼らに噛み付かれるカステルッチで始まる衝撃的な幕開け。あのパラストの壁を軽々と登っていくクライマー。窓々から見える人魂のような不思議な動きをする光。人殺し、交通事故、発砲、などなど。目の離せない1時間半の作品。
さすがに再演は無理だわね。




芸術監督が変わり、Haus der Berliner Festspiele が発信する冬のフェスティバルは、今までの ”spielzeit europa” から ”Foreign Affairs” となった。


その巻頭を飾るのは日本の作品。
Marino Formennti in Mobile Haus von Kyohei Sakaguchi


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大きな木が屋根から突き出ている エコな家


劇場の入り口左側に、
くず材で囲われたカスタニアの家(劇場前のカスタニアの木が家の中に生えている、というか家から突き出ている)が出現。

これは数年前「0円ハウス TOKYO」で話題となった、ちょっと風変わりな建築家: 坂口恭平の新プロジェクト ”Mobile Haus”の一部である。


家の中にはピアニスト Marino Formenti が3週間(フェスティバル中)住み続けるという、アート&パフォーマンス。



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家の中の様子 (取材中)



観客は、窓からのぞくことはもちろん、家の中に入って、彼のピアノを弾きながら寝そべったり、居眠りしたり、また観察したりできる。そこまでは行けないよ、というかたもこちらの Livestream からライブ画像を閲覧できる。

60人まで収容できるというけれど、10人くらいが寝そべって彼のピアノを聞き入るくらいのときを見計らって是非聴きに来てほしい。



劇場のフォワイエがオープンしている時は、
フォワイエの2階にある坂口恭平展を是非!



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家の下にコロが付いているから移動可能!


ある路上生活者が自ら考案して、持ち運び可能なパーツで建てたという家の見取り図や写真、恭平氏のペン画、恭平風モバイルハウス実物などが閲覧できる。


今回のヨーロッパツアーには、ご家族も全過程同行。

普段は家族のいる熊本から仕事で東京に飛ぶなど多忙であるため、日本国内で仕事する彼の側に家族がいられることはほとんどないという。

お父さんと一緒に旅することが出来て嬉しいからなのか、それともただとってもオープンな子供なのか、娘のあおちゃんは始終ご機嫌だった。4歳の女の子が外国人を見ても物怖じせず、しかも和食以外のごはんでもOKというのはなんだかとっても逞しく思える。本当に伸び伸びとしていて、将来が楽しみな子だ。

フェスティバルのオープンにともなった彼の初日祝いは、とても良い雰囲気だった。
こんなにいい雰囲気のパーティーも珍しい。彼の人柄、そして彼の作品、周りの人々の温かさが伝わってくるような、そんな感じ。


次にどんな作品に挑むのか、見る側の期待が膨らむ。
坂口恭平、目が離せないアーチストのひとりである。







入場無料のSchlingensief追悼イベント。

それは舞台演出家 Schlingensiefにとっても思い出深い、Volksbuehneで行われた。
劇場側の、彼の協力者の、そしてファンの思いがこもったドイツらしいイベントであった。


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映像画面はSchlingensief本人



20時からという告知だったのだが、その30分前に会場に到着したwarabi。
すでに大勢の人でごった返した劇場の入り口。

ホワイエに入ると、チケットを持った係員に
「記念に入場チケットはいりますか?」と尋ねられる。
これは劇場側にしたら、後の集計に必要なもの。もちろん、いただきましたが。


中に入ると、劇場内のあちこちに設置された写真コーナーや映像コーナーは、すでにオープンしていた。配布資料 これ を見ながら、会場を回っていく。




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各階ごとの案内図と記念のチケット



会場の雰囲気はこんな感じ。
舞台の装飾然り、カオスのようなある世界観が出来上がっている。



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体長7〜80cmの巨大うさぎも小道具のひとつ

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映像の魔術師

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アフリカプロジェクトのイメージ



大勢が駆けつけたイベントの幕開けは、ホワイエから。

アナウンスでホワイエに集まるよう指示があり、みんなが集まると挨拶、寄せられたファックスや手紙の紹介・・・

プレミエパーティーをイメージさせる大きなテーブルには、みんなが持参した食べ物含めごちそうが並ぶ。

観客はそのごちそうをいただきながら、ピアノ演奏を聴き、歌手の声に耳を傾ける。


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そこからショーはスタート。


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本舞台の様子



メイン舞台では、スクリーンにホワイエのライブ映像が映っていたところから、Schlingensiefの映像作品が紹介に切り替わる。


スクリーンの反対側にも客製が設けられ、時折スクリーン裏にやってくるストリートパフォーマンスやサーカス芸を移動しながら見ることが出来る。

Rotersalonではトークショーが予定され、空いた時間にはSchlingensiefがTVに出演しそのTV番組を批判しているシーンや、TVのちょい役(彼のコミカルな演技)集などを次々に上映。

廊下の角や、階段にまで舞台映像ブースや映画紹介ブースなどが設けられていて、観客は歩くたびに自分の知らない彼の多彩な一面に出会う仕掛け。
マルチだった彼は、舞台のみならず、映画、TV、社会的パフォーマンス等々で、活躍していたのだ。





彼とは仕事仲間として長く付き合ってきた女優の原サチコさんは、もちろんこのイベントに格別な思いがある。

盛大なまでの追悼イベントをやりこなし、ホッとしたのとは裏腹に、自分の中にある彼がいなくなったという穴をどう埋めようか、答えを探しているようであった。


きっと彼は、
空の上から今日の様子を見て、喜んでくれていたと思いますよ〜


と、確信しているwarabiなのであった。




Die Stunde da wir nichts voneinander wußten」/Schauspiel Graz (Oestreich オーストリア)が熱い!!


演出家はブダペスト出身のViktor Bodó。

warabiは今回初めて彼の名を耳にしたが、有名なSalzburger Festspieleなどに招聘されているのできっと有名な方に違いない。
稽古中彼が発しているのは、恐らくハンガリー語。隣にはドイツ語通訳がつきっきりで、ダメだしをしている。

「Die Stunde...」は、とてもリズムのある舞台作品である。

ドイツ語圏の優秀な作品を招待するTTだが、
この作品にはドイツ語は登場しない。
ハンガリー語もない。
テキストがないのだ。

だから、これはパフォーマンスという部類になる。



舞台上には、上下5つずつの小さなスタジオが組まれている。
シーンに沿って、人間関係図がライブカメラを通して(しかも留まることなく)、繰り広げられる。

役者たちはそれぞれ複数の役を与えられ、素早く早替えをし、別のシーンの登場する。


通りすがりの人々
道路にある地下入り口を出入りする工事人
OL
コールガール風の真っ赤な女性
薬の売人
ディスコで踊りまくる人々
うまく声が出ない男性
カフェのウエイトレス
看護士
バイクを乗り回し、事故にあう男
テニスプレーヤー
電話・書類に襲われる事務員
赤ん坊をあやす若い母親
WCを利用する人
などなど・・・






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スタジオ「カフェ」の裏から


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下手から上手を覗く


例えば。

「カフェ」は市民の生活に欠かせなく、また様々な人間がそれぞれの背景を背負ってやってくるので頻繁に出番がある。

スムーズに移動する小さなカフェの中には、5名以上の役者が乗り、その裏側には、スタジオを動かす舞台スタッフ2名、ケーブルを解釈する照明スタッフ、早替えをサポートする衣装スタッフが隠れているが、もちろんそれらを観客席から見ることは出来ない。

時には早替えの役者がいっぺんに数人来て、裏に10人くらいたまっているのに表には役者2人ということもあって、袖から眺めているのが楽しかったり。

あるシーンでは裏がどんなになっているのか、裏側を観客側にセットし、カメラでスタジオの中を撮りスクリーンで見せるという志向もあった。


この作品のキーは、
舞台を動き回るライブカメラ生演奏の音楽

舞台前には3人の音楽家と1人のオペレータが、演技に合わせでライブで演奏をしている。だから、タイミングが合い、舞台上が引き締まるのだ な。

カメラワークにも飽きることがない。

シーンによってはスタジオが舞台中央へ移動するのだが、その移動の間もだれかがどこかで小さなシーンを演じているのを、カメラは途切れることなく追う。
切 り替わり方(流 れと表現した方がいいか)がとても絶妙!


昔のコメディートリックさながら、役者が転げ回るのに合わせてカメラ本体を回し、あたかも舞台装置が回って見えるような映像を出したり、カメラを90度回して構え、臨場感のある音楽とともに「24」のジャック・バウアーさながらの体育会系演技をスクリーンで見せたりもする(実際は床を張っているだけなんだけれどもね)。

テニスのシーンでは、ボールが風を切るSEとともに全てがスローモーションになり、人や顔をかすめていく効果がまるでアニメーションのよう。

それらは、舞台で繰り広げられている実際の動きとともに、スクリーン映像として見ることが出来るのだが、あるときはスクリーンでしか、ストーリーを追うことが出来なかったりもする。

通常のお話だと、サブストーリーはいくつかというのが普通だけれど、いくつかどころではなく何十にもなっているため、非常に内容が濃くなるという点でも面白そうだと推察していただけるだろう。


- 終演後 -

観客は大満足で、長ーいカーテンコールを送る。
役者も満足、そしてうまく事が運んだことにスタッフも満足。

舞台作品は、様々なセクションのコラボレーション。
みんなが満足というのは、一番好ましい結果である。



warabiももちろん、大満足!
本日最終回、お見逃しなく!!

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