warabi's tagebuch

カテゴリ:アート Kunst > 劇場 Theater


以前も書いたように。。。

warabiたちは夏の間、
Ruhrtiriennale ルールトリエンナーレというフェスティバルのため、BochumにあるJahrhunderthalle ヤールフンダートハレで働いている。


このフェスティバルは、ドイツ・ルール地方の旧工業地帯で開催され、現在では建造記念物となっている100年前の工場跡地
が会場となっていることで有名。




jhh



こちらがフェスティバルのメイン会場、Jahrhunderthale。

この背の高い Wasserturm 給水塔が目印。




traverse




鉄骨や巨大な鉱業機械などが残る空間に、重量トラスを吊り、まず吊り点を作っていくところからの作業は、なかなか大変。
ひとつひとつの作業に、重い・長い・高いといった難点が、幾重にも組み合わされるからである。


とはいっても、もうじき1ヶ月になろうというここまで、warabiは毎日楽しく仕事ができている。
なぜかというと、Seil ロープやクライミングで使うローラーなどちょっとした道具を賢く使うことで、そんな難関を盛り越えていく楽しさがあるから。

そう、昔習った「テコの原理」を思い浮かべてもらえばいい。



次回は、そんな特別な道具を紹介していきたいと思う。
本当にすごいんだから!


ちょっとマニアックすぎるかしら・・・










ここのところ、
偶然にも「知られざる」シリーズが続いている。


今回は、、、

長編小説「変身」で有名な作家、

Franz Kafka フランツ・カフカ (1882年7月3日〜1924年6月3日)

知られざる功績について。


今回の講習中に、聞いた本当の話

あのフランツ・カフカが 当時 Sicherheitsinspektor 安全管理検査官 として、Dickenhobel 鉋掛け機械の刃の形状を、円柱型以外禁止したというのだ。



dickenhobel
機械の鉋部分(右)
左側から材木を入れると左の歯でしっかりとつかみ、
ローラーで鉋部分まで送り込む仕掛け



鉋を掛ける機械については、前回2回の記事を参照してほしい

円柱型鉋は、写真の右側。
昔は、この部分が4角柱などもあったらしい。

素晴らしいことに、現在でもこの円柱型のみが使われている。

すご〜い!!


こういうことは、実習教科書には載っていないからね。

耳が "ダンボ" になった瞬間であった。。。


+


カフカについて調べてみると(wikiより)


プラハのユダヤ人の家庭に生まれた、ドイツ語作家
晩年は結核にかかり、ナチスが猛威を振るう前に亡くなっている。


大学卒業後、プラハ地方裁判所にて1年間の司法研修を受け、イタリアの保険会社「アシクラツィオーニ・ジェネラリ(一般保険会社)」のプラハ支店に入社。


心配性だったカフカは、工場現場への視察の際に、万一の事を考えて軍用ヘルメットを着用していた。
それが基で、事故による保険金支払いを抑制するために、現在、工事現場などで使われている安全ヘルメットの発明に繋がった。

カフカは1908年から1922年まで、プラハ市内の「労働者傷害保険協会(正式には「ボヘミア王国労働者傷害保険協会プラハ局」)」に勤めていた。主な仕事は諸企業の傷害危険度の査定、分類と、また企業側から行なわれる、分類に対する異議申し立て訴訟の処理であり、しばしば数日がかりの出張や工場視察も行った。後には特に木材部門での事故防止にも従事しており、木工機械の事故防止のための詳細な図解入りのマニュアルが カフカの手によるものとして残っている。

カフカは有能な職員であり、特に文書作成能力を買われ、1913年に30人の部下を抱える書記官主任に、1920年には秘書官に、1922年の退職 直前には秘書官主任にまで出世した。1914年の大戦勃発の際には保険協会から「業務上不可欠」とされて兵役免除を申請されている。1918年にはオース トリア=ハンガリー帝国が崩壊しチェコ共和国の時代となったが、チェコ語もできたカフカは解雇を免れた。

 

 

 「変身」「審判」を残した功績も大きいのに、これだけマルチな活躍をしていたとは・・・


本業の功績よりも、
隠れた功績の方に興味を覚えるwarabiなのであった。。。




入場無料のSchlingensief追悼イベント。

それは舞台演出家 Schlingensiefにとっても思い出深い、Volksbuehneで行われた。
劇場側の、彼の協力者の、そしてファンの思いがこもったドイツらしいイベントであった。


schlingensief
映像画面はSchlingensief本人



20時からという告知だったのだが、その30分前に会場に到着したwarabi。
すでに大勢の人でごった返した劇場の入り口。

ホワイエに入ると、チケットを持った係員に
「記念に入場チケットはいりますか?」と尋ねられる。
これは劇場側にしたら、後の集計に必要なもの。もちろん、いただきましたが。


中に入ると、劇場内のあちこちに設置された写真コーナーや映像コーナーは、すでにオープンしていた。配布資料 これ を見ながら、会場を回っていく。




karte
各階ごとの案内図と記念のチケット



会場の雰囲気はこんな感じ。
舞台の装飾然り、カオスのようなある世界観が出来上がっている。



ausstellung00


hasi
体長7〜80cmの巨大うさぎも小道具のひとつ

ausstellung02
映像の魔術師

ausstellung
アフリカプロジェクトのイメージ



大勢が駆けつけたイベントの幕開けは、ホワイエから。

アナウンスでホワイエに集まるよう指示があり、みんなが集まると挨拶、寄せられたファックスや手紙の紹介・・・

プレミエパーティーをイメージさせる大きなテーブルには、みんなが持参した食べ物含めごちそうが並ぶ。

観客はそのごちそうをいただきながら、ピアノ演奏を聴き、歌手の声に耳を傾ける。


anfang




そこからショーはスタート。


buehne
本舞台の様子



メイン舞台では、スクリーンにホワイエのライブ映像が映っていたところから、Schlingensiefの映像作品が紹介に切り替わる。


スクリーンの反対側にも客製が設けられ、時折スクリーン裏にやってくるストリートパフォーマンスやサーカス芸を移動しながら見ることが出来る。

Rotersalonではトークショーが予定され、空いた時間にはSchlingensiefがTVに出演しそのTV番組を批判しているシーンや、TVのちょい役(彼のコミカルな演技)集などを次々に上映。

廊下の角や、階段にまで舞台映像ブースや映画紹介ブースなどが設けられていて、観客は歩くたびに自分の知らない彼の多彩な一面に出会う仕掛け。
マルチだった彼は、舞台のみならず、映画、TV、社会的パフォーマンス等々で、活躍していたのだ。





彼とは仕事仲間として長く付き合ってきた女優の原サチコさんは、もちろんこのイベントに格別な思いがある。

盛大なまでの追悼イベントをやりこなし、ホッとしたのとは裏腹に、自分の中にある彼がいなくなったという穴をどう埋めようか、答えを探しているようであった。


きっと彼は、
空の上から今日の様子を見て、喜んでくれていたと思いますよ〜


と、確信しているwarabiなのであった。




Gedanken 3000 - fuer Christopf Schlingensief というイベントが、Volksbuehne am Rosa-Luxsenburg-Platz/Berlinで行われる。


C. Schlingensiefとは、今年8月21日に亡くなられた、異彩を放ち続けた偉大な演出家のこと。

このイベントは、彼の作品を上演するのではなく、いろいろな彼との思い出を多くの人と共有するためのもの。

彼はこのVolksbuehneでいくつかの作品を作ったが、それだけに劇場との思い出は深い。舞台という空間だけではなく、劇場内外(映画館でも)のあちこちで写真、インスタレーション等、様々な思い出が繰り広げられる予定。
多方面に関心を持ち活躍していた彼のことだから、ここで自分の知らなかった彼の別な一面を見ることができるかもしれない。

舞台という空間だけにこだわらなかった Schlingensiefらしいメモリアルだね。





実は。

仕事仲間からこの情報を聞き行くつもり満々だったところ、彼の仕事仲間であった女優のSachiko Haraさんから、「是非ブログでも紹介してください!』とあったので、差し迫ってきたところでもう一度後押し。


2010年11月6日 20時から、入場無料。

彼の軌跡に触れたい人は、是非足を運んでください。


来週からJazzfestが始まるというのに、劇場内はこのざま。




von_oben




どの通路もこんな感じ・・・



kabenfluss



ケーブルの川となっている。。。


今年のTeatertreffen(5月ね)までは、
こうだったのが・・・



frueher



現在は、こう。



versaetze




まだ、
配線は済んではいないので使えないけれど。。。

どこも同じ問題を抱えているので、
今更驚きはしないけれど、

大丈夫か!?


このページのトップヘ