カテゴリ:アート Kunst > テアタートレッフェン Theatertreffen

2013年の今、テアタートレッフェンは50歳 を迎える。


50年、半世紀という節目だから、準備から気合いが入るのも当然。

どんな気合いなのかというと・・・
例えば劇場前の気合いは、こう。


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1週間前の劇場前は、こんな状態だった。

巨大なOSBパネルの舞台が誕生中。黄色い素材は、レンタルの木製H鋼。すごい迫力・・・



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そして、本日はこのように舞台面は終了。木の周りには円形ベンチがぐるりと。

あとはケコミをつけて、家具を置いたら完成らしいけれど、「まだまだ仕事は山ほどある」との、Mくんのコメントでした〜。




今年もまた始まっている、Berliner Theatertreffen2011



外から見ると、「毎年同じよう」に見えるかもしれない。

しかし、今年だけは違うのだ!

いつも以上にバタバタしているのは、もう1年以上も続いている劇場の改修が、終わるはずだったのに終わっていないから。
TTの準備が始まっても、実は観客用トイレのどれも使用可能ではなく、去年末から今まで使用できるトイレは劇場内で男女ひとつずつだった。

技術系でいえば、多くが丸ごと入れ替わるほどに変化したのだが、その機能もプログラムが完璧ではなく、いろいろと問題ありなまま使用している状態。
日本だったら受け渡し期日はきっと何よりも優先されるだろうけれど、ここドイツはそんなところもちょっと違う。
「こんなことでいいのか!」とも思うけれど、突貫工事で無理矢理終了するよりはいいのかな。


TT始まって2週間が経とうとしているけれど、もちろんまだ手つかずになっているところも多い。



decke



ホワイエの天井は、まだ化粧板がない状態。
物を吊るのには以外に便利さ!


もちろん照明器具なども最終的ではない。
空間照明、非常時灯も含め、普通の裸電球がいろんな長さのケーブルにぶら〜んとぶら下がっているだけだった。あまりにひどいので、現在は黄色(今年のTT色)のバルーン型シェードがついている。



さて。
このポスターたち。
今年選ばれた、
優秀なドイツ語圏演劇作品10作のポスターであるが・・・



derbiberpelz
Schwerinのポスター


今年はなんと、毎年招聘されている タリア劇場・ハンブルクやブルク劇場・ウィーンなどの有名どころの作品ではなく、ドイツ国内最過疎地 Mecklenburg-Vorpommern 州(warabiたちの田舎のある!)Staatstheater Schwerin やらルール地方の Oberhausenから、初参加の劇場作品が目につく。


異色の作品だなぁと思っていたら、演出家はどちらもHerbert Fritsch

来期から新しい芸術監督がやってくると決まっていることから、審査員たちも肩の荷を降ろして、このような異色を持ってきたとwarabiたちは睨んでいる。


Fritsch(フリッチュと発音)は、元Berliner Volksbuehneの俳優であったことや、俳優業以外のマルチな活躍で知名度がある。この度の2作とも、演出&舞台美術の両方をこなしているマルチぶり。

Fritschワールド満載!

彼の演出的な評価は、warabi的には今回が初めてなので特に書き留めないでおく。
大御所のパイマンは、彼のプレミエを見にきて、罵って帰っていったけれど、あれはあれでどうなのか。コンサバなベルリンの批評はあまり良くなかった様子・・・

Mくん曰く、「裸になって舞台を汚すだけが、Hochkultur ハイソな芸術文化ではない」と。確かに!


Der Biberpilz は1880年頃のベルリン近郊を舞台に社会批判ドラマとして書かれたもの。
それをPlattdeustchといわれる低地ドイツ語 やSaechsisch ザクセン訛りをたんと織り交ぜ、カラフルにコミカルにリズムよく演出していた。(ドイツ人の同僚でも聞き取れないんだから、warabiが聞き取れなくて当然!と、実は非常に気が楽だったという事実。ちなみに、Mくん笑いっぱなし。)


地方の州立劇場だからと馬鹿にしていた訳ではないが(本当か?)、俳優陣の腕が立つこと。
見ていて恥ずかしくない、コミカルな演技って案外難しいのよね。いやぁ、本当にすごい!!
改めて、ドイツ演劇文化の奥深さを知った気がするwarabi。
地元の劇場にはまだ足を運んだことはないが、時間があったら是非行ってみたいなと思わせてくれる腕前なのであった。



nora
Oberhausenのポスター



そして、もうひとつのFristch作品
Theater OberhausenNora oder Ein Puppenhaus

イプセンの「人形の家(ドイツ語のタイトルはNORA)」はあまりにも有名で、どこの劇場もきっとこの作品のレパートリーは持っているのではないか、と思われるほど。

この作品は本日Premiereなのでまだ拝見していないが、
とにかく、なによりも、どこよりもすごいのは、嬉しくて嬉しくて "Theatertreffen用のポスター" を作ってしまったという,
 ”意気込み" である!


作品のタイトルよりも大きく書かれているのは

Berlin, Berlin,
wir fahren nach Berlin!


「ベルリン、ベルリン、
私たちはベルリンに行きます!



その下には、
「私たちは、Berliner Theatertreffen 2011に招待されました!」


そしてやっとタイトル


左端の星の中には
Der Theater-Oscar fuer Oberhausen
「劇場のオスカー賞が オーバーハウゼンに」

さすがに、オスカー賞にはみんなで笑ってしまった!
ここまで喜んでもらえると、迎えるこちらも嬉しいよね。


Oberhausenなんて、Ruhrtriennaleというフェスィバルに毎年仕事に行っていなかったら、街の名前さえも知らなかっただろう。小さな街だからこそ、こうして盛り上がれるんだろうな。

Schwerinにも同じことが言える。
Der Biberpelzのポスターも(TTのポスターではなく)街中あちこちに貼られていることでも、「折角ベルリンに来たんだから」という意気込みを感じられる。こちらは本日千秋楽だが、チケット完売は嬉しいニュース。


こんな風な、いつもとは違うTheatertreffen
あと1週間で終了となる。






TTもあっという間に終わってしまい、今年の春はなんだか寒かったな~という印象のwarabi(TTの前後が春だと勝手に思っている)

そして、
今日も寒いまま・・・

昨日は雨が降るかもしれないぐずぐずした寒い中、劇場の前にある4本の木から提灯外しを楽しんだ。

女性の同僚と二人で(ほかのみんな寒いし天気悪いから(?) 中でお仕事)、1日中2Tの高所作業車に乗って、木の中の提灯とケーブルを撤去していくという作業。

葉っぱの生い茂った引っかかりの多いところでの回収作業は面倒だし、
カスターニアの花や花粉が身体のあちこちにくっついたり、
鳥の攻撃(巣があるから、ね)を受けたり、
いろいろ文句もいいたくなることも多かったが、
二人で冗談を言い合ったりして、案外楽しい1日であった。

高所作業車の操作は満点に近かったといえる!(←もちろん自画自賛)

目測で作業範囲をばっちり計算できしたし、生い茂った枝を交わしながら木の中に入る手順は正解で、大満足! 達成感大あり。


通り過ぎる人は女性二人が巨大な機械を動かしているのをみて、立ち止まって観察していく。
一時は子供たちの英雄的な存在になり(えっへん!)、お母さんはその場を離れるのに苦労していた。

18時までという作業車のリミットがありながら、余裕でゴール。


Die frische Luft macht man muede.


新鮮な空気は人を疲れさせる(直訳)
日本人だったら、「お日様に当たりすぎると疲れる」というところか。

そういう風(新鮮な空気が)に考えても見なかったけど、一日外にいると疲れることを何にもしていないのに「疲れた!」と感じることって確かにある。

なるほどね。

怪我もなく、時間ないに無事に作業を終えられてホッ。


大変お疲れさまでした。
作業はまだまだ続きます・・・










今年の Theatertreffenは Koeln ケルンの年 といえるほど、Schauspiel Koelnの作品が多かった。

先に書いた、Johan SimonsKasimir und Karolin

2つ目の Die Schmutzigen, die Hässlichen und die Gemeinen /Karin Beier

そして Die Kontrakte des Kaufmanns /Nicolas Stemann
(Thalia Theater, Hamburgと共同制作)


と今年選ばれた10作品のうち、3作はKoelnからということになる。


*


2つめの演出家 Karin Beier は、warabiとしては初耳だったのだが、なんでもSchauspiel Koelnのインテンダントとなっている優秀な方だそう。

彼女の作品は、なかなかよく出来ていたと思う。

まずそれは、Thomas Dreissigacker の舞台美術によって成り立っていた。

それは・・・


die_schumutzigen
とっても重い、頑丈な防音コンテナは 本物ではなく舞台用



普通だったら耳に入れたくもない日常会話を、コンテナという箱に押し込めて防音し、窓を通して彼らが過ごしている様子を見るというアイデア。

コンテナは横に細長く Haus der Berliner Festspieleの舞台よりも若干長かったので、下手にあるSeitenbuehneという小舞台まで張り出し、客席を奥舞台に仮設して上演。

舞台と客席を仕切る鉄扉の内側は黒に塗られていず、銀色なので新鮮。これが背景となる。


あまり日常を知られることのないある下層の人々(直訳的な表現ですみません)
10人以上でこのコンテナで共同生活をしているようだ。

ドアや窓はきっちりと閉まっていて、なにか会話しているようだけれど、全く観客のwarabiたちには聞こえてこない。
しかし、いくつもある大きな窓ガラスを通して、中で生活している人々の様子はよく見える。

車イスに座って、ガラスクリーナーを飲もうとする人
ずっと電話ばかりしている人
起きたばかりなのか、パンツ姿で歩き回る人
下着姿のまま座っている人
暴力が得意な大男
トイレから出てきておしりが半分見えている人

などなど・・・

観察している(覗いている)と、力関係や執着しているものも見えてくる。
共通点はどの人もお金に強い執着を持っているということ。

この単純な仕掛けが、ドラマを生む。

あまりに見ていられないほど赤裸裸だったり、聞こえないけれどわかってしまうだけに「聞こえなくてよかった!」と思うwarabi。

この演出でなかったら、どうやってこのような作品を2時間見ていられるのだろうか、と思えるほどよく出来ていたと思う。

彼女の他の作品も是非、見てみたい。


*


そして、TT最後の作品。

Die Kontrakte des Kaufmanns von Nicolas Stemann。
これはSchauspiel KoelnとのCo-produktionにより、Koelnで初演が行われ、Thaliaのクルーにより再演されている、4時間もの超大作作品。

2008年のリーマン・ショックによる経済が話題。いかにEuroの強さを示せるか、ドイツがリーダーシップを保てるか、など様々な方向からテキストを書いたElfriede Jelinek イェリネック。何度もテキストを追加したりして、あまりの適す炉の多さに、毎回上演時間も3時間半程度から4時間くらいと大幅に変わるらしい。

下手前には「99」と表示された電光掲示板。
役者が読み上げてページをめくる度(実際はテキスト紙をめくって投げ捨てる)、数字が減っていき、全て読み終えると「0」になるという仕組み。

Regieanweisung(演出の指示)を読む担当もいて、観客へ注意点や指示をおもしろおかしく伝える。

例えば、

「この芝居は4時間と長くて・・・・、でも舞台上では休憩を取らないで通して行うので、その代わりに観客の方達は自由に出入りしてもらい、いつでも休憩を取ってください。ドアは上演中も解放してあります。飲み物や食べ物は普通劇場内では禁止ですが、本日は許可されています(大拍手!)・・・」

という具合。

やはりStemannはすごいのか。

やはり、、、4時間は長い。
Muenchenの "kleiner mann”芝居と違って、見せる(見入る)芝居ではないから、なおさら長く感じる。
テキストのよさを解れば、また違うのだろうけど。

ということで、warabiは途中でご飯休憩♡
この後、夜中過ぎまで撤去だったので、夕飯は大事!

でも、もちろん最後の大展開はちゃんと見ましたよ。
「Hamburgの観客はコンサバなので、Berlinは食いつきがすごかった」と、スタッフが後に語っていたように、ゼクトを買いに (!) 出入りしていても、最後満員だったので誰も帰ってはいなかった様子。

いや、カーテンコールもすごかった!!





あっという間にTT終了。

この後 撤去、引っ越し、劇場改修第2弾となります。。。














Riesenbutzbach. Eine Dauerkolonie
von Christoph Marthaler



今秋Marthalerが F/T で初来日予定。
日本公演の鑑賞を楽しみにしている人は ネタバレになるのでご注意を!




舞台は、"Instituet fuer Gaerungsgewerbe"(舞台装置上部に記されている)。

意味は言葉遊び的でよくはわからないが、直訳だと「発酵製造工場」。小さな Brauerei ビール醸造所などのイメージか。

Krise
経済恐慌・金融危機がテーマ



riesenbutzbach
今は閉鎖になった Tempelhof空港で開催
ホールは巨大なので、巨大な美術が普通に見える



いつものAnna Viebrock的美術には、ガレージが3つも組み込まれているが、どれも車が終われている様子はない。

ガーデン用のイステーブルが入っていたり、バンドの練習所になっていたり、また閉め切ったままになっているようだ。

演出的にいえば、出入り口が10以上も用意されていて、役者の出入りまた小さな空間の使い方が、細々していて楽しい。

シーンはお決まりのように、またタイトルにあるように、いつまでも継続するようなテンポで ゆ〜っくりと進行する。


*

Der Staat hat das Geld, was uns gehoert, ausgegeben. Deshalb muessen wir Verstaendniss haben, und ihm den Rest geben. Und mit dem was uebrig bleibt, muessen wir ordentlich konsumieren.


国家は我々の所有している金銭を全て使ってしまった。
だから、我々は残りを国に渡すことを理解しなければならない。
そして、まだ余りがある場合、我々はしっかりとそれを消費しなければならない・・・


*


Marthalerワールドは健在で、あの 恥ずかしい笑い はそこここで起こっていたのだが、なにかもの足りず。

楽しみにしている人には申し訳ないが、このテーマも表面的に触っただけで終わっていたことは、非常に残念。

次回に期待したい。

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