「Die Stunde da wir nichts voneinander wußten」/Schauspiel Graz (Oestreich オーストリア)が熱い!!
演出家はブダペスト出身のViktor Bodó。
warabiは今回初めて彼の名を耳にしたが、有名なSalzburger Festspieleなどに招聘されているのできっと有名な方に違いない。
稽古中彼が発しているのは、恐らくハンガリー語。隣にはドイツ語通訳がつきっきりで、ダメだしをしている。
「Die Stunde...」は、とてもリズムのある舞台作品である。
ドイツ語圏の優秀な作品を招待するTTだが、
この作品にはドイツ語は登場しない。
ハンガリー語もない。
テキストがないのだ。
だから、これはパフォーマンスという部類になる。
舞台上には、上下5つずつの小さなスタジオが組まれている。
シーンに沿って、人間関係図がライブカメラを通して(しかも留まることなく)、繰り広げられる。
役者たちはそれぞれ複数の役を与えられ、素早く早替えをし、別のシーンの登場する。
通りすがりの人々
道路にある地下入り口を出入りする工事人
OL
コールガール風の真っ赤な女性
薬の売人
ディスコで踊りまくる人々
うまく声が出ない男性
カフェのウエイトレス
看護士
バイクを乗り回し、事故にあう男
テニスプレーヤー
電話・書類に襲われる事務員
赤ん坊をあやす若い母親
WCを利用する人
などなど・・・
スタジオ「カフェ」の裏から
下手から上手を覗く
例えば。
「カフェ」は市民の生活に欠かせなく、また様々な人間がそれぞれの背景を背負ってやってくるので頻繁に出番がある。
スムーズに移動する小さなカフェの中には、5名以上の役者が乗り、その裏側には、スタジオを動かす舞台スタッフ2名、ケーブルを解釈する照明スタッフ、早替えをサポートする衣装スタッフが隠れているが、もちろんそれらを観客席から見ることは出来ない。
時には早替えの役者がいっぺんに数人来て、裏に10人くらいたまっているのに表には役者2人ということもあって、袖から眺めているのが楽しかったり。
あるシーンでは裏がどんなになっているのか、裏側を観客側にセットし、カメラでスタジオの中を撮りスクリーンで見せるという志向もあった。
この作品のキーは、
舞台を動き回るライブカメラと生演奏の音楽。
舞台前には3人の音楽家と1人のオペレータが、演技に合わせでライブで演奏をしている。だから、タイミングが合い、舞台上が引き締まるのだ な。
カメラワークにも飽きることがない。
シーンによってはスタジオが舞台中央へ移動するのだが、その移動の間もだれかがどこかで小さなシーンを演じているのを、カメラは途切れることなく追う。
切 り替わり方(流 れと表現した方がいいか)がとても絶妙!
昔のコメディートリックさながら、役者が転げ回るのに合わせてカメラ本体を回し、あたかも舞台装置が回って見えるような映像を出したり、カメラを90度回して構え、臨場感のある音楽とともに「24」のジャック・バウアーさながらの体育会系演技をスクリーンで見せたりもする(実際は床を張っているだけなんだけれどもね)。
テニスのシーンでは、ボールが風を切るSEとともに全てがスローモーションになり、人や顔をかすめていく効果がまるでアニメーションのよう。
それらは、舞台で繰り広げられている実際の動きとともに、スクリーン映像として見ることが出来るのだが、あるときはスクリーンでしか、ストーリーを追うことが出来なかったりもする。
通常のお話だと、サブストーリーはいくつかというのが普通だけれど、いくつかどころではなく何十にもなっているため、非常に内容が濃くなるという点でも面白そうだと推察していただけるだろう。
観客は大満足で、長ーいカーテンコールを送る。
役者も満足、そしてうまく事が運んだことにスタッフも満足。
舞台作品は、様々なセクションのコラボレーション。
みんなが満足というのは、一番好ましい結果である。
warabiももちろん、大満足!
本日最終回、お見逃しなく!!
演出家はブダペスト出身のViktor Bodó。
warabiは今回初めて彼の名を耳にしたが、有名なSalzburger Festspieleなどに招聘されているのできっと有名な方に違いない。
稽古中彼が発しているのは、恐らくハンガリー語。隣にはドイツ語通訳がつきっきりで、ダメだしをしている。
「Die Stunde...」は、とてもリズムのある舞台作品である。
ドイツ語圏の優秀な作品を招待するTTだが、
この作品にはドイツ語は登場しない。
ハンガリー語もない。
テキストがないのだ。
だから、これはパフォーマンスという部類になる。
舞台上には、上下5つずつの小さなスタジオが組まれている。
シーンに沿って、人間関係図がライブカメラを通して(しかも留まることなく)、繰り広げられる。
役者たちはそれぞれ複数の役を与えられ、素早く早替えをし、別のシーンの登場する。
通りすがりの人々
道路にある地下入り口を出入りする工事人
OL
コールガール風の真っ赤な女性
薬の売人
ディスコで踊りまくる人々
うまく声が出ない男性
カフェのウエイトレス
看護士
バイクを乗り回し、事故にあう男
テニスプレーヤー
電話・書類に襲われる事務員
赤ん坊をあやす若い母親
WCを利用する人
などなど・・・
スタジオ「カフェ」の裏から
下手から上手を覗く
例えば。
「カフェ」は市民の生活に欠かせなく、また様々な人間がそれぞれの背景を背負ってやってくるので頻繁に出番がある。
スムーズに移動する小さなカフェの中には、5名以上の役者が乗り、その裏側には、スタジオを動かす舞台スタッフ2名、ケーブルを解釈する照明スタッフ、早替えをサポートする衣装スタッフが隠れているが、もちろんそれらを観客席から見ることは出来ない。
時には早替えの役者がいっぺんに数人来て、裏に10人くらいたまっているのに表には役者2人ということもあって、袖から眺めているのが楽しかったり。
あるシーンでは裏がどんなになっているのか、裏側を観客側にセットし、カメラでスタジオの中を撮りスクリーンで見せるという志向もあった。
この作品のキーは、
舞台を動き回るライブカメラと生演奏の音楽。
舞台前には3人の音楽家と1人のオペレータが、演技に合わせでライブで演奏をしている。だから、タイミングが合い、舞台上が引き締まるのだ な。
カメラワークにも飽きることがない。
シーンによってはスタジオが舞台中央へ移動するのだが、その移動の間もだれかがどこかで小さなシーンを演じているのを、カメラは途切れることなく追う。
切 り替わり方(流 れと表現した方がいいか)がとても絶妙!
昔のコメディートリックさながら、役者が転げ回るのに合わせてカメラ本体を回し、あたかも舞台装置が回って見えるような映像を出したり、カメラを90度回して構え、臨場感のある音楽とともに「24」のジャック・バウアーさながらの体育会系演技をスクリーンで見せたりもする(実際は床を張っているだけなんだけれどもね)。
テニスのシーンでは、ボールが風を切るSEとともに全てがスローモーションになり、人や顔をかすめていく効果がまるでアニメーションのよう。
それらは、舞台で繰り広げられている実際の動きとともに、スクリーン映像として見ることが出来るのだが、あるときはスクリーンでしか、ストーリーを追うことが出来なかったりもする。
通常のお話だと、サブストーリーはいくつかというのが普通だけれど、いくつかどころではなく何十にもなっているため、非常に内容が濃くなるという点でも面白そうだと推察していただけるだろう。
- 終演後 -
役者も満足、そしてうまく事が運んだことにスタッフも満足。
舞台作品は、様々なセクションのコラボレーション。
みんなが満足というのは、一番好ましい結果である。
warabiももちろん、大満足!
本日最終回、お見逃しなく!!